人気ブログランキング | 話題のタグを見る

のらと道行く、もばいら便り~人も流れる2000/09/10

上五島からフェリーに乗って、佐世保に上陸する。
梅雨明けの近づく、6月後半だ。
米海軍や海上自衛隊が駐屯する佐世保の港は、
船も港のさまも物々しい。
自衛隊の護衛艦っていうのかな、初めは米軍艦かと思った。
街中では基地のアメリカ人、水兵服の若い自衛隊員と
たくさん行き交う。

佐世保から久留米の近く、福岡の伯父の家へ。
1週間ほど滞在して、対馬に向かうことにした。
滞在中に、これまで「忙しい」を口実に、
30歳を超えても毎年サボっていた人間ドックを初めて受ける。
健康には気をつけましょう。

博多から、壱岐を経由する対馬行きフェリーは、ほとんどの客が
壱岐で降りた。車で渡るのならともかく、5時間をかけて
フェリーに乗る人はあまりいない。ほとんどが旅客船に乗る。
夜の海を進むフェリーは、時折
いか釣り漁船の漁り火をかき分けるように進んでいく。
不思議な光景だ。
港から歩いて数分、対馬で一番大きな町・厳原(いづはら)は
開けた町だった。地図を眺める以外、何の下調べもしない上陸。
「対馬は、違う」「大陸のようだ」・・・そんなイメージだけを抱える。

対馬は明治以来、戦争のたびに島全体が要塞化されて、
(中国、朝鮮半島への最前線だからだろうなー)
今は上島、下島とわかれているけど、
これも海軍が艦船を通すために人工的に瀬戸をつくったためらしい。
もとはひとつの島だったという。

厳原は元々大陸との貿易がある城下町で、
明治からは軍事的な役割もあって人の出入りもあったろうから、
地形は厳しくてもそんな流れで開けてるんだろう。
町だけでなく、人も開けている感じがする。
山深いときいてきたが、今も、がしがし山を削っている。
春から秋にかけての、北の山中の雪のカーテンならぬ
岩のカーテンが伸びている。

天皇家ゆかりの人が祀られているという、
和多都美(わたづみ)神社、海神神社など、
古い神社が多く、神社詣での機会が増える。
(「海神」=わだつみ、でもある。それにしても、
寺~教会~神社と、巡る2000年)
海神神社近くの商店のじいさんが、当番で神社の管理人か
なにかをしたときには、太平洋戦争の際に、
「鬼畜米英・・・かしこみかしこみ」などと政府が
奉納したものを目にしたそうだ。
「神の国」発言でいろいろ言われているけど、ついこないだまで
実際そうだったんだから・・・、という。

対馬西岸、海をはさんで40キロ先には、朝鮮半島がある。
テントを張った近く、猫が見えた。
ツシマヤマネコ(天然記念物)かと思って走っていって見たら、
黒猫だった。ツシマヤマネコは、茶色っぽい毛柄だ。
ツシマノノラネコだったみたいだ。
夕暮れの雲は圧巻。映画に出てくる作り物みたいな、
というとたとえが悪いけど、とにかくきれいですごかった。
晩飯の準備をほうって、写真を撮る。
海の向こう、夕焼けをバックライトにぽっかりと浮かんだ、
あれは韓国の山だった。晩飯が終わると、もう真っ暗だった。

たんぼの中を進む道には、ちっさいのが一面にぴょんぴょん。
アスファルトがざわついている。
バッタ・イナゴの類かと思ったら、カエルだった。
間を持たせながら、ゆっくりと歩を進めたんだけど、
いくらかは踏んでしまったかもしれない。

対馬・比田勝港からは、韓国までの船が出ている。
対馬にかかる案内板には、ローマ字表記はなくても、
ハングル文字表記はあった。
港に行くと、ちょうど韓国行き旅客船の出航間際。
韓国からのおばさん中心観光団が帰国の途につくところだった。
韓国から一番近い日本、十分楽しんだだろうか。
そんなことを考えながらぶらぶらしていると、
ひとりのおばさんが手を振りながら、税関の向こうに消えていった。

対馬では、途中で会ったおばさんにはジュース買って
飲まんねーと120円をもらったり、宿の世話焼きの
おばさんには、洗濯までしてもらった。
対馬は、同じ長崎県の離島でも、五島列島とはまったく
違った歴史をたどってきて、土地も人も開けていた。

対馬から博多に渡り、
それから鹿児島に戻って、1ヶ月と少しをすごした。
妹とその娘、3歳が帰ってきたから、あやして過ごした。
従妹のパソコン購入~メール・インターネットが使えるまで支援をした。
(身についたサービスレベルは、落とせないものだ)

高橋克彦の短編集「緋い記憶」を読み返すと、「冥い記憶」に
青森の川倉地蔵尊のことが書いてあった。
去年知り合いに教わるまで、川倉のことはまったく知らなかった
と思っていたけど、この本で出会っていた。
村上龍「コインロッカー・ベイビーズ」を読み返す。
炭鉱のあった島に行きたいと思ったのは、軍艦島の話を
きいてからだと記憶を塗り替えていたが、ずっと前からのことだった。
最初に読んだのは、もう20年近く前だ。

博多から鹿児島に帰ってくるときにあった人との約束を果たす。
「(西郷)隆盛と(島津)斉彬によろしくいっちょっ(言っといて)くれ。
まだしばらく帰れんけど、元気にしちょっでち(しているからと)。」
博多駅前、路上生活の人の言葉だ。

去年の8月末、旅のはじめに恐山の宿坊で出遭った
チャリダー(チャリ・ライダー)から手紙が届いた。
子どものころからの夢、自転車旅行を果たし、
北海道、そして地元長崎でバイトをした。そして
大人になってからの夢、俳優を目指して上京、
登戸にいるって。
出遭った人もまた流れていく。

長い夏休みを終えて、山口県から山陰に向かっています。
晴れた昼間の日差しはまだ強いが、秋はもうすぐそこ。
旅便りをリアルタイムにもどそう、と思いつつ。
by norato | 2001-02-11 00:00


<< のらと道行く、もばいら便り~秋... のらと道行く、もばいら便り~「... >>